FDL REVIEW 寄稿「国際デザイン教育の現場から」(1995年)
日本で企業内デザイナーとして数年間製品開発に携わるうちに、企業人として果たすべき役割とデザイナー個人として表現 したいことの狭間で感じる、ある種の矛盾についてもう少し考えるために、一旦生産の現場を離れて学校という思考、思索の 場で一時を過ごそうと思い立ち、94年1月にイタリア・ミラノのドムスアカデミーに入学した。 ドムスの40人弱のクラスには世界中から色々な学生が集まっている。94年度のインダストリアルコースでは、イタリア人の 学生は1人のみ。経済力を反映してか、同年度は日本人が最も多かった。ともあれ、世界各国から年齢、職歴、学歴も異なる 様々な学生が集まり、共同でいくつかの課題に取り組むという設定は、またとない異文化交流の場だ。 これらの学生たちが、唯一無二の共通する価値尺度,デザイン言語を見いだしていくことなどありえない。異なる価値観のも とでは、デザイナーとしての必要条件すら異なるのだ。高等教育の場は常にそうかもしれないが、模範解答などなく、企業の ような経済的側面からの絶対評価もない。面白いのは、問題提議はえてして環境問題、コミュニケーシヨンなど世界共通に認 識されるものが多い。一方、その問題点のどの側面に注目するか、どの要素に対して解答を提案するかは各人各様だ。教師た ちの評価も日本のデザインアプローチからすれば、予測もできないような反応が返ってくる。 エツィオ・マンズイー二の課題で「社会サービスのデザイン」というテーマが出されたとき、あるグループは欧米で推進さ れているカープール(乗り合いシステム)の発展形を提案し、アジア系のグループはコンピューターネットワークによる無店舗 販売システムをデザインした。カープールがなじんでいない日本人には欧米の発想が新鮮に映るし、無店舗販売が普及してい ないイタリア人はアジアの「自販機文化」に刺激を受けたはずだ。デザインと思考のキャッチボールを通じ、学生は単なる教 師の評価を超えた刺激が得られる。 前期のグループ課題を経て、後期は各個人の卒業課題が始まり、指導教官として4人の著名デザイナーが招へいされた。総合 テーマは「都市に生きる」と決定。各人のテーマには共通して社会的視点が求められ、「街娼婦のためのデザイン」「ペット のための都市サービスネットワーク」「建築修復の現場をテンポラリーミュージアムの視点で捉え直す」などユニークな作品 が生まれた。 自分が持っているアイデアのどの部分を見せるかは,指導教官の個性によらて変えていかねばならない。ただでさえ少ない学 生がさらに小人数に分かれ,教官デザイナーとの交流を持つのは得難い経験だ。ドムスの終了を目前に控えて、学生の意識は 「学生対教官」というよりどこまで一対一のデザイナーの関係に近付けるかへと変化していった。 ドムスではデザインというテーマを通じ、自分とは何か,他人とは何者か、互いが共有している問題は何かという問いが繰り返 される。デザインするということは、他者とのコミュニケーションであると同時に、自分に対してのコミュニケーションと意 識化の作業だということを再確認した一年だった。(藤田寿伸 在ミラノ、照明デザイナー) (日経BP社「日経デザイン」1995年5月号)
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