FDL REVIEW


寄稿「相対的に見る日本とイタリアのデザイン」(1996年)


 イタリアでデザインを学ぶうちに、縁あってミラノの若いデザイナー達と一緒に仕事をする機会を得た。一年間彼らとともにスタジオの設立に立ち会いながら、日伊、日欧のデザイン文化の違いを考えてみた。

 

 イタルフォルムという新スタジオの代表は32歳のフィンランド人。彼は8年前にフィンランドからイタリアヘデザイン留学し、学校卒業後ミラノのデザイン事務所で経験を積んで昨年(95年)独立した。このスタジオで共に仕箏をしながら強く感じたのは、イタリアのデザインがいかに色々な文化、人種のデザイナーによって支えられているかということだった。

 スタッフの出身国はフィンランド、イタリア、日本、キューバで、その他にもスペイン人、ドイツ人などが仕事にかかわった。このような多国籍の混成部隊はミラノではあたり前だ。有名デザイナーの事務所ともなれば、世界中の若いデザイナーが出たり入ったりしている。デザイナー達は短期間の契約やインターン扱いでスタジオを渡り歩くケースが多い。

 これは、少ない報酬と大物デザイナーの元での経験を経歴に加える魅力とを秤にかけたときに、スタジオ側にもデザイナー側にもメリットがあるからだ。

 イタリアと言えば80年代のポストモダニズムの影響でラジカル・ポップなデザインが主流のように受け取られがちだが、本来イタリアのインダストリアルデザインは合理的な解決を求める、むしろ理屈っぽい性格を持っているように思う。自分のアイデア、意見をまず徹底的に論理で説明し、行き着く先の「もの」よりデザインすることの「何故」をどこまでも討論する傾向は特にイタリアに顕著だ。この性質は、あるいはその多文化性からいやおうなく導き出されたのだろう。

 議論をするということは必ずしも相手を論破するということではなく、別の価値を見つけた場合は意見を豹変させることもある。イタリアのデザインプロセスで大切だと考えられているのは、「何故」をとことん説明する理用っぽさと「面白さ、良さ」を見つけるためには躊躇なく考え方を豹変させる身軽さ、この二つの矛盾した能力にあるようだ。

 面白いことに、日本のデザインではこの二点はあまり意識されない。「何故」ではなく「いかに」、「豹変」より「最初の目的との一致」を重んじる性質が日本らしい正確なものづくりを支えてきたのだろう。

 今日イタリアでは多くの東洋人デザイナーが働くようになり、結果としてイタリアのデザインは東洋の文化や価値観をもその内に取リ込みつつある。また、韓国、台湾、中国、タイなど工業力を付けてきた国々がイタリアのデザインと接触を始めている。アジア諸国は日本から得られないものを求めているのだ。一方イタリアはこうした背景を自覚し、意識的にイタリアを世界に売りこんでいるようだ。

 

 比較とは別に、日本には日本の良さがある、しかし、世界が急速に変化していく今日、日本もまた自らの資質の中の何が相対的に価値を持つのかを自覚する時期にさしかかっているのではないだろうか。それが自分たちの文化を深く考え、さらに強くしていくことにつながるように思えてならない。(藤田寿伸 / 在ミラノ、インダストリアルデザイナー)

(日経BP社「日経デザイン」1996年4月号)


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