FDL REVIEW
寄稿「プロダクトデザインと建築の距離-境界を超えてデザインを語る国、イタリアにまなんで-」(1999年)

 工業デザイナーとしての教育を大学で受け、卒業後は特別な迷いもなく照明メーカーへ就職し、照明デザイナーとなった私 に初めて与えられた仕事は照明計画、空間のプランニングだった。このときようやく照明のデザインという分野には大別して 「照明器具(ハードウェア)のデザイン」と「照明計画(ソフトウェア)のデザイン」の二つがあることを知った。「ライト アップ」という言葉が市民権を得はじめた八〇年代のことである。  折しも日本はバブル景気の末期で、建築家が専門メディアのみならず一般のメディアにも大きく紹介された時代ではあった が、たまたま照明というプロダクトデザインと建築デザインの境界分野の仕事に踏み込んだことで、大学時代には知らずに過 ぎてしまった建築や建築家についても学ぶ機会が増えた。  建築畑の方々には意外かもしれないが、日本のプロダクトデザイン教育では建築について学ぶ機会は殆どないといって良 い。日本の工業デザインは自動車や家電製品などの分野を中心に戦後の産業発展と共に成長したが、その基本には「産業と企 業を通じて社会に貢献する」というイメージがあったように思う。プラグマティックな「工業デザイン」教育では、思えば不 思議なことに「コルビュジエのシェスロング」について教えても「コルビュジエの建築」にはろくに触れないことに対して大 きな疑問はなかったようだ。  その後思うところあって、私は会社を離れてイタリアへ渡り、ドムスというデザインスクールに学んだ。イタリアはデザイ ンの国である。しかし建築家にとってはイタリアこそは西洋建築の源流の一つであり、ルネッサンス以来多くの天才を生みだ した国でもあろう。デザインを学びに来た筈の私は次第にイタリアの建築の魅力に惹かれ、陣内秀信氏の一連の著書などを読 みながらイタリア各地を旅して歩いた。専門的な建築教育を受けていない人間が見て歩くことだから、それほど詳しいことが 分かるわけではないが、しかしミケランジェロやブルネレスキの建築の下で暮らし、南イタリアの都市を旅して、ロッシやテ ラーニの近代建築をたずねるうちに、私にとって建築はかなり親しいものになったと思う。  一方ミラノにあるドムスの授業はインダストリアルデザインコースと銘打ってはいても、講師も学生も世界各国から集まっ たデザイナーと建築家の混成部隊で進められる。日本のデザイン教育とは正反対に、コルビュジエの建築を知らずにコルビュ ジエの家具について議論することなどあり得ない。ドムスにはプロダクトデザインと現代建築を共に語り合う人たちがいた。  そもそも大学の少ないイタリアでは建築学部も極端に少ないが、工業デザインの専門課程など殆どないに等しかった。それ でもイタリアから多くの優れたモダンデザインが生まれたのは、建築を学んだ若い才能が、建築の分野で活躍できる機会の少 なさ故に多くデザインの分野に力を注いだことにある。マリオ・ベリーニもアッキーレ・カスティリオーネも建築を学んでプ ロダクトデザインの分野で多くの優れた業績を残してきた。  イタリアでは、デザイナーを「ディセニャトーレ」とイタリア語よみにはせず、英語で「デザイナー」と呼ぶか、「プロ ジェッティスタ」と呼ぶのが一般的で、より尊敬をこめて呼ぶ場合は「アルキテット」と呼ぶ。これも建築に発するデザイン文化の歴史の違いといえるだろう。  建築家やデザイナーをどのように呼ぶべきか、というようなことはさておいても、イタリアに学び、イタリアに暮らしなが ら思ったことは、「なぜ日本ではデザイナーや建築家が互いの分野に踏み込むことを暗黙のうちに嫌うのだろう」と言うこと だった。表だっては誰も言わないが、デザイナー、特に工業デザイナーと建築家の間には大きな意識の溝があるのではないだ ろうか。日本(企業に属するデザイナーが全体の九割以上)とイタリア(フリーランスデザイナーが主体)の「工業デザイ ナー」の定義が違うこと、日本の工業デザイナーは殆ど空間デザインに踏み込まない仕組みであることも大きな理由だろう が、一方でインテリアデザイナーと建築家の間にすら何か見えない意識の壁があるのが感じられる。誤解を恐れずに言うな ら、それは建築家の無意識の尊大さか、あるいはデザイナーのコンプレックスか。ばかばかしいようだが、分野の境界上で仕 事をする誰もが多少は感じることではないだろうか。  デザイナーが建築を知らないように、デザインを知らない建築家も少なからずいるのではないか。あるいは建築家にとって 工業デザインなど彼岸の出来事と言うのであろうか。  この意識の溝には一方で日本の工業デザインが抱える時代と業態の変化という根深い問題もからんでくる。工業デザイナー の間でも産業主導のデザインの時代は終わり、今や「工業デザイン」と名乗ることすら時代に遅れているのではないかという 議論がある。  デザインと建築の仕事の仕方の違いは、社会と時代の要求に適合した形であるべきだが、とはいえ一つの源流をもつデザイ ンの各分野をいくつもの深い意識の溝で区切り、互いに往来しない、できない、悪い意味での「専門化」が進んだことで、い ま私たちは自分の可能性を狭めてはいないだろうか。  私は現在日本とイタリアの双方でささやかなデザイン活動に関わりながら過ごしているが、領域を超えた活動をしてきた数 少ない日本の先輩デザイナーたちと、建築とデザインを自由に往来するイタリアのデザイナーを目標に、これまで日本のプロ ダクトデザイナーの出来なかった仕事の出来る人間になろうと努力している。  しかし、もっとも心に掛かることは、日本のデザイン教育の現場では、おそらく今でも領域を越えた知識、建築やその他の 分野を学ぶ余裕がないであろうということなのだ。新しい時代のデザイナーとして領域を越えて活動できる人材を育てること こそ、次世代へ何かを伝えるべき私たちの課題なのではないだろうか。(藤田寿伸 工業デザイナー) (彰国社「建築文化」1999年9月号)

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